アラキ
アラキ。
20年前の私は、この写真家が嫌いで、ただのエロジジイだと思っていました。
写真家を目指す人間ならば、見るべき人なのだろうけれど、私が好きな写真家は
安珠
サラムーン
上田義彦
植田正治
とアラキさんとは全然タイプが違う写真家たち。
けれど、ある写真展に作品を出したことで、アラキさんの作品を手に取ることになりました。
それがこの「陽子」。
20年前、私はアラキさんが審査員をしている「写真新世紀」に出展しました。
ゲスト審査員にサラムーンが来るということで、作品を見てもらいたくて。
世界観はもちろん、サラムーンや安珠さんを意識したもの。
出品後、しばらくしてから、キャノンのスタッフの方から1本の電話が入りました。
「写真家の荒木経惟さんご存知ですよね」と。
「はい」
「今回初出品ですよね」
「はい」
「アラキさんが凄く良いとおっしゃっています。ただ、初出品なので賞は難しいけれど、次回に期待していると言っています。次回頑張ってください。」
えっ・・・?!(動揺)嘘!アラキ??なんで!?
どう考えたって、アラキさんの作品と描写が違い過ぎるのに・・・
けれど・・・
これをきっかけに、私の中では、アラキさんの存在が大きくなりました。
本屋に行くと目に入ってくるようになって、ようやく始めて手に取ったのがこの「陽子」。
写真集を見て、初めて泣いた。
本屋で立ち見をしていたのだけれど、「やばい、泣く。」と思い、本を閉じレジに行きました。
この「陽子」を見るとアラキさんの本質が紐解くように見えるというか。
とっても不器用で、素直で愛おしさがあって、寂しさと儚さと人間の心の感情を思うがままに撮っていて、胸を締め付けらるようでした。
「外見だけ見てた。」と思ったのです。
こんな写真撮れるだろうか、私には・・・と思った。そして同時にこんな写真撮りたいとも思いました。
心に語りかけ、感情を伝えられる写真。そんな写真家になりたいと。
アラキさんが使っていた、同じカメラを買って思うがままに撮るアラキさんの真似をして
色んなところで何気ない物、人を撮るようになりました。
フィルムで上がってくると、何気なく撮ったのに、ちゃんと会話が成立していることが面白くてドンドン撮っていきました。
そんな時に起こったのが「父のガン」。
「陽子」に出会って2か月後のこと。
アラキさんは陽子さんの生き様を撮り続け、その後も色々なシーンで語りかけている。
私は父の死と向き合えるだろうか。あんな風に出来るだろうかと。
写真家になりたいと行った時、父は喜び自分の使っていたカメラを私にくれた。
そのカメラで父を撮る。
今では、父に撮りたいと言ったかどうかは覚えていない。
けれど、私は、「陽子」の作品に出会って、父の死と向き合ったというよりかは、
父の生き様を撮り続けた。
2度目の写真新世紀に出品したのは、父が亡くなって10日後。
出展しようかどうしようか悩んでいて、背中を押したのが母だった。
3日3晩徹夜し、全紙から半紙まで60枚近く現像し、1冊のブックを作った。
今度はアラキさんに見てもらいたくて作った作品「DEAR father」
出展後、キャノンの人から連絡をいただいた。
「いい作品でした。」と。1つ1つの描写を細かく表現して下さりありがたかった。
優勝ではなかったけれど、その次の賞を頂いた。
だけれど・・・
その後から写真を撮れなくなった。
父以上の被写体に出会えない。何を撮っても、つまらないものに見えてしまう。
撮っていて楽しくなかった。
たぶん、あれで燃え切ってしまったように思います。
「陽子」は私の短い写真家人生で、とても大きな存在で、「写真」との向き合い方だけでなくて、「人」との向き合い方も教えてくれたバイブルみたいなもの。
東京都写真美術館でやっていた展覧会。
20年越しで「陽子」に会えました。
初々しい女性から、どんどんと色気があって、時に可愛い女性へと変化していく様は、見ていてもドキドキした。
写真家アラキを見ているのではなく、夫、男アラキを見ている。
それがカメラを通して通じてくるから、すごいよ。
病気が分かって周りの空気を撮るアラキが切なくて、胸が苦しくなる。
「愛」の表現が切なすぎる。
この人の偉大さはずっと私の中で健在。
いつか会ったら、ぎゅーってハグしたい。
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